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中秋の名月の由来!団子を供える理由は?仏滅になるのはなぜ?

中秋の名月

中秋の名月には、月見団子を供えてお月見をしますよね。

日本に昔から伝わる風習ですが、いつごろからどのようにして始まったのでしょうか。

今回は、中秋の名月の由来についてご紹介したいと思います。

中秋の名月の由来は?

中秋の名月とは、旧暦8月15日の夕方に出る月のことです。

この日に月を鑑賞する風習は、平安時代に中国から伝わったものだと言われています。

月を愛でる習慣は日本でも縄文時代からあったという説もありますが、中秋(旧暦8月15日)に月見をする風習は中国が起源と考えられています。

 

中秋の名月の風習が中国から伝わった当初は、名月を観ながら、宴や舟遊びなどで詩歌や管弦を楽しみつつお酒を飲むという、”平安時代の貴族のお月見遊び”でした。

この頃には直接月を観るのではなく、杯や池に映った月を愛でることが風流だったようで、庶民には縁のない行事だったことがうかがえます。

 

室町時代に入ると、月見遊びは簡素なものになっていき、だんだん”中秋の名月に月を拝みお供えをする”という趣旨に変わっていきました。

 

さらに庶民にも中秋の名月の風習が広がったのは、江戸時代に入ってからです。

中秋(旧暦8月15日)は、もともとサトイモの収穫祭がある地域が多く、サトイモを食べる日とされてました。

この風習と月見の風習がまじりあっていき、当初は”月を観ながら芋煮を食べて遊ぶ風習”として庶民に広がっていきました。

その後、現在のように月に向かって家庭でお供えをするようになったのは江戸時代後期頃からと言われています。

 

中秋の名月は、中国伝来の風習と日本古来からあった月見の習慣や収穫祭などと融合しながら、今のスタイルになっていったということですね。

中秋の名月の団子の由来は?

月見団子は穀物の収穫に感謝し、米粉で作った団子を作るようになったのが始まりだと言われています。

中秋の名月に団子を供えるようになったのは江戸時代後期以降からで、文机に月見団子を並べて供えていたという記録も残っています。

 

中秋の名月に月見団子を供えるようになったのは、もともとあったサトイモの収穫祭と月見の風習がまじりあった結果、中秋の名月が単に月をめでる遊びではなく、収穫を祝い感謝する信仰の対象となっていったからです。

現在でも、地域によっては団子は米粉に限らずその土地でとれる穀物を使っていることも多く、形もまん丸やサトイモ型など様々な種類があります。

 

団子だけでなく、芋をそなえる風習が残っている地域もあり、中秋の名月を意味する「十五夜」は、「芋名月」とも呼ばれています。

 

その他にも、秋にとれる野菜や果物、秋の七草などを供えることもあります。

ススキも団子と一緒に供えられることが一般的ですが、ススキを稲穂に見立てて、収穫への感謝を表すという意味を持っています。

 

中秋の名月には、収穫に感謝してお祝いするという日本人の心が込められているのです。

中秋の名月が仏滅になるのはなぜ?

中秋の名月は、毎年必ず仏滅にあたります。

六曜が気になる人には、え、なんで・・・とちょっとモヤモヤすることかもしれませんね。

 

これは、六曜と旧暦の関係から自動的に決まってしまうことで、特に深い意味はありません。

 

六曜は、先勝→友引→先負→仏滅→大安→赤口の順で繰り返します。

旧暦では、1月から12月まで、毎月1日の六曜を、この順番に当てはめていくのです。

つまり、1月→先勝、2月→友引、3月→先負・・・・ということです。

 

この流れでいくと、中秋の名月のある旧暦8月は1日が友引となり、順番に当てはめていくと15日は必ず仏滅になります。

このことから、中秋の名月は「仏滅名月」とも呼ばれます。

中秋の名月なのに毎年仏滅になるのは何だか残念なイメージではありますが、単に暦上の問題だということなのですね。

 

終わりに

中秋の名月の由来についてご紹介してきました。

お月見よりお団子が楽しみ・・なんてこともあるかもしれませんが、由来や意味を知ると中秋の名月がより風流に感じられるのではないでしょうか。

2017年は10月4日(水)が旧暦8月15日の中秋の名月にあたります。

秋の涼しい夜に美しい月を眺めてみませんか(o^-^o)

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